26日も素敵な皆様に伊勢丹会場にご来店いただきまして、
お話できたこと感謝の気持ちでいっぱいです♪
本当にありがとうございました。
昨日名古屋にいったん戻ってまいりました。
そして昨日は、ビーズFriendと新刊の発売日でした。
お話できたこと感謝の気持ちでいっぱいです♪
本当にありがとうございました。
昨日名古屋にいったん戻ってまいりました。
そして昨日は、ビーズFriendと新刊の発売日でした。
p26~30のWire Modeの特集ページでは
の素敵な作品と一緒にスワロフスキー・エレメントを使ったワイヤージュエリーを紹介させていただいております。
また、P31~32には不肖パンダによるビーズの旅「スワロフスキーの故郷オーストリアを訪ねて」を掲載していただいております。
また、P31~32には不肖パンダによるビーズの旅「スワロフスキーの故郷オーストリアを訪ねて」を掲載していただいております。
2年間お世話になりました編集チーフの西脇治子さんが今号でビーズFriendを卒業されます。
今号で表紙と巻頭のページもご一緒できたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
いつも抜群のセンスのおしゃれさんでキュートで聡明な西脇さんから沢山のパワーを頂戴しました。
なんだか2年間の思い出が走馬灯のように脳裏に浮かんできて、ビーズFriendを見るとうるうるしてしまいます。
西脇さん、素敵なページをありがとうごさいました♪
今号で表紙と巻頭のページもご一緒できたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
いつも抜群のセンスのおしゃれさんでキュートで聡明な西脇さんから沢山のパワーを頂戴しました。
なんだか2年間の思い出が走馬灯のように脳裏に浮かんできて、ビーズFriendを見るとうるうるしてしまいます。
西脇さん、素敵なページをありがとうごさいました♪
そして、新刊「スワロフスキー・エレメント×ワイヤーで作るモードジュエリー」も沢山の方々のお力添えでカタチになりました。
ウイーン、インスブルックを一緒に旅したスワロフスキー・ジャパンの大澤美由喜さんをはじめ、お世話になったスワロフスキー社の皆様、出版を快く引き受けてくださったブティック社の内藤朗社長、編集の坂部規明さん、すばらしい写真を撮ってくださった安田仁志さん、美しいデザインレイアウトに仕上げてくださいましたキュリネールの林社長と橘谷さん、判りやすいレシピを制作してくださいましたレシピアの山口先生ご夫妻、素敵なお花を提供してくださいました大金先生、撮影から校正までもサポートしてくださいました中村美紀先生、材料を提供してくださいました貴和製作所、パーツクラブ、ビーズX-SENSEの皆様、そしていつも講座をサポートしてくださいます和田真理子先生、お世話になっております株式会社コロネットの伊藤琢磨社長をはじめとしたスタッフの皆様、ずっと励まし続けてくれたX-SENSEのマネージャー李シュアンさん…ここに書ききれないほどの多くの皆様のお力をお借りして一冊の本が完成しました。
ウイーン、インスブルックを一緒に旅したスワロフスキー・ジャパンの大澤美由喜さんをはじめ、お世話になったスワロフスキー社の皆様、出版を快く引き受けてくださったブティック社の内藤朗社長、編集の坂部規明さん、すばらしい写真を撮ってくださった安田仁志さん、美しいデザインレイアウトに仕上げてくださいましたキュリネールの林社長と橘谷さん、判りやすいレシピを制作してくださいましたレシピアの山口先生ご夫妻、素敵なお花を提供してくださいました大金先生、撮影から校正までもサポートしてくださいました中村美紀先生、材料を提供してくださいました貴和製作所、パーツクラブ、ビーズX-SENSEの皆様、そしていつも講座をサポートしてくださいます和田真理子先生、お世話になっております株式会社コロネットの伊藤琢磨社長をはじめとしたスタッフの皆様、ずっと励まし続けてくれたX-SENSEのマネージャー李シュアンさん…ここに書ききれないほどの多くの皆様のお力をお借りして一冊の本が完成しました。
そして何よりもこの本が完成できたのは、このブログや講座でご一緒する皆さまのお陰です。
可愛い彼女にクリスマスプレゼントを選ぶような気持ちで…
「こんな作品喜んでいただけるかな~」なんて考えながら制作しました。
ワイヤーガールズの皆様に愛を込めて「ありがとうございます♪」
可愛い彼女にクリスマスプレゼントを選ぶような気持ちで…
「こんな作品喜んでいただけるかな~」なんて考えながら制作しました。
ワイヤーガールズの皆様に愛を込めて「ありがとうございます♪」
5月に企画書を作り、6月にページの打ち合わせをし、7月に素材を決めて8月にど~んと集中して作って、9月に撮影…と、何かに取り憑かれたかのように今回制作しました。
ウイーンへ旅立つ直前までレシピの制作に追われていたら、なんと飛行機に乗り遅れてしまいました…
かなりしょんぼりして、りんくうのホテルから実家の母に電話したところ…
「明日はちゃんと飛行機に乗って、パパの想いも一緒にウイーンに連れて行ってあげて」と…
その言葉に号泣してしまった。
ウイーンへ旅立つ直前までレシピの制作に追われていたら、なんと飛行機に乗り遅れてしまいました…
かなりしょんぼりして、りんくうのホテルから実家の母に電話したところ…
「明日はちゃんと飛行機に乗って、パパの想いも一緒にウイーンに連れて行ってあげて」と…
その言葉に号泣してしまった。
7年前他界した父。
私は、子供のころから我がまま自分勝手に生きてきた気がします。
でも、身内の死に直面した時、人生でいちばんいろいろな事が勉強になりました。
8年前に父が食道がんに…一度は国立がんセンターで放射線治療を受けて完治したのですが、2ヶ月後に再発し、あらゆる大学や治験に問い合わせをしたり、ワラをも掴む気持ちで父を車に乗せて遠く栃木のがんセンターで診ていただいても治療の手立てはなく、余命3ヶ月の宣告を受け、ホスピスでの最期を選択することにしました。
その時期、兄はイギリスに赴任していて、父も母も私にすっかり選択を任していて、父の命を預かっているようなプレッシャーで押しつぶされそうでした。ネットで調べ、小金井の聖ヨハネホスピスのコーディネーターさんに会いに1人ホスピスを訪ねました。
私は、子供のころから我がまま自分勝手に生きてきた気がします。
でも、身内の死に直面した時、人生でいちばんいろいろな事が勉強になりました。
8年前に父が食道がんに…一度は国立がんセンターで放射線治療を受けて完治したのですが、2ヶ月後に再発し、あらゆる大学や治験に問い合わせをしたり、ワラをも掴む気持ちで父を車に乗せて遠く栃木のがんセンターで診ていただいても治療の手立てはなく、余命3ヶ月の宣告を受け、ホスピスでの最期を選択することにしました。
その時期、兄はイギリスに赴任していて、父も母も私にすっかり選択を任していて、父の命を預かっているようなプレッシャーで押しつぶされそうでした。ネットで調べ、小金井の聖ヨハネホスピスのコーディネーターさんに会いに1人ホスピスを訪ねました。
コーディネーターの方は信仰心の厚い温かい神父様のような方で思わず今までの経緯をお話し
「いったいガン治療に正しい選択というのはあるのでしょうか?」とお尋ねしたところ
「今あなたがお父様の為にここにいらしたということが正しい選択なのです」
とおっしゃって下さいました。
その瞬間ふわっと肩の力が抜け、涙がボロボロと落ちました。お話を終えて外に出ると雪が降っていて、ホスピスの玄関前のマリア様の像に雪が舞い落ちる光景がとても美しく清らかで「神様はきっと見守って下さっている」とその時何故だか思ったのです。
その時点で聖ヨハネホスピスはベットの空きが無く、予約も3ヶ月待ちだったのですが、伺った3日後ぐらいに「ベットが空きました」と奇跡のようなお電話を頂いて父と小金井で約1ヶ月半過ごしました。
父はもう治療の手段がないこと、本人も覚悟はしていても、いざ死の恐怖と日々闘う現実に最初は自暴自棄にはなったのですが、しばらくすると落ち着いて、ある日ドクターに
「残り僅かな人生かもしれないけれど、何か生き甲斐が欲しいのです」と
自分の葬儀のプランを語りだしました。
プロテスタントの家庭で育ち、伯父は牧師なのですが、本人は無神論者を貫きたいから音楽葬で見送って欲しいと…。
病室に葬儀屋さんを招いて最期の力を振り絞って打ち合わせをし、着る服も遺影も自分で確認し小金井で永眠しました。
「骨はママとナオミで持っていてくれ、いずれ海にでも散骨して欲しい」と言い残して…。
聖ヨハネホスピスは暖炉があったり、山小屋風の病室だったり、バーもあって患者さんも介護する家族も利用できました。
また患者さんと家族のためのボランティアの方によるステンシルなどのクラフトや手芸の講座もありました。私も参加してみたのですが、モノヅクリをしている時は父の死を何もできずにただ待つという辛い現実から一時解放されました。
モノヅクリの力はすごいなと思いました。
いつか私もワイヤークラフトセラピーのような事ができたらなと思ってます。
父は私の思い出の中で永遠に生き続けています。
どんな時でも人には何か「生き甲斐」が必要だとも思いました。
「ワイヤークラフト」という生き甲斐がある自分はとっても幸せなんだと…。
残された者の使命は毎日を大切に生きること…と自分に言い聞かせて突っ走ってきた7年間。
でもいつもどこかで心残りのこともありました。
「いったいガン治療に正しい選択というのはあるのでしょうか?」とお尋ねしたところ
「今あなたがお父様の為にここにいらしたということが正しい選択なのです」
とおっしゃって下さいました。
その瞬間ふわっと肩の力が抜け、涙がボロボロと落ちました。お話を終えて外に出ると雪が降っていて、ホスピスの玄関前のマリア様の像に雪が舞い落ちる光景がとても美しく清らかで「神様はきっと見守って下さっている」とその時何故だか思ったのです。
その時点で聖ヨハネホスピスはベットの空きが無く、予約も3ヶ月待ちだったのですが、伺った3日後ぐらいに「ベットが空きました」と奇跡のようなお電話を頂いて父と小金井で約1ヶ月半過ごしました。
父はもう治療の手段がないこと、本人も覚悟はしていても、いざ死の恐怖と日々闘う現実に最初は自暴自棄にはなったのですが、しばらくすると落ち着いて、ある日ドクターに
「残り僅かな人生かもしれないけれど、何か生き甲斐が欲しいのです」と
自分の葬儀のプランを語りだしました。
プロテスタントの家庭で育ち、伯父は牧師なのですが、本人は無神論者を貫きたいから音楽葬で見送って欲しいと…。
病室に葬儀屋さんを招いて最期の力を振り絞って打ち合わせをし、着る服も遺影も自分で確認し小金井で永眠しました。
「骨はママとナオミで持っていてくれ、いずれ海にでも散骨して欲しい」と言い残して…。
聖ヨハネホスピスは暖炉があったり、山小屋風の病室だったり、バーもあって患者さんも介護する家族も利用できました。
また患者さんと家族のためのボランティアの方によるステンシルなどのクラフトや手芸の講座もありました。私も参加してみたのですが、モノヅクリをしている時は父の死を何もできずにただ待つという辛い現実から一時解放されました。
モノヅクリの力はすごいなと思いました。
いつか私もワイヤークラフトセラピーのような事ができたらなと思ってます。
父は私の思い出の中で永遠に生き続けています。
どんな時でも人には何か「生き甲斐」が必要だとも思いました。
「ワイヤークラフト」という生き甲斐がある自分はとっても幸せなんだと…。
残された者の使命は毎日を大切に生きること…と自分に言い聞かせて突っ走ってきた7年間。
でもいつもどこかで心残りのこともありました。
実は、7年前に父の葬儀をボイコットしてしまったのです。
父と一緒にたてたプラン通りのお通夜も滞りなくすんだ夜に、1年間の緊張の糸がぷっつりと切れてしまったのです。
「父の死」という現実を急に直視できなくなって、精神的に混乱し、一晩ひたすら泣き続けました。
夫はそんな私に一睡もせず付き合ってくれて、私の意思を尊重して理解してくれて、心配する親戚に対しては、「僕からちゃんと説明するから」とすべてを背負って一人葬儀に参列してくれました。
当時暮らしていた中野の新井薬師の家で頭から布団をかぶって泣きながら夫の帰りをひたすら待った。
今、この瞬間に、父の姿がこの世から消滅してしまうという現実を見たくなかった。
自分が取り乱してしまうのが怖くって逃げてしまったのです。
夫から無事に葬儀が終わったという連絡を受けるといてもたってもいられなくなって、新井薬師の改札口で夫がでてくるのを待ちました。
家路を急ぐ会社や学校帰りの人々に混じって改札をでてきた夫は、コートのポケットから白い布に覆われた包みを出して
「お父ちゃんをナオミのところにつれて帰ってきたよ」と笑顔で渡してくれました。
約束通りに父の骨を分骨してもらったのです。
夫から受け取った小さな骨壺を抱きしめて「パパ、パパ」と人目も気にせず幼子のように新井薬師の駅前で泣き崩れました。
父と過ごした一年間、「私がしっかりしなくては…」とずっと自分に言い聞かせ続けてた。
いつの間にか父や母の保護者のような気持ちになっていました。
母がまるで少女のように「パパがいなくなったら私はどう生きていけば良いの?」と言うのを
「一番苦しいのは病気のパパなんだからね」と叱ったりもしていた。
ホスピスでは病気の苦しみから「早く死にたい」という父に対してアメリカで末期病患者の積極的安楽死を推進した医師ジャック・ケヴォーキアンのような気持ちにさえなる時もあった。
父と一緒に葬儀のプランをたてることによって私自身が現実を直視することから逃げていた。
そして最後まで私がしっかりちゃんとして父を見送ろうとかたくなに心に決めていたのです。
父と一緒にたてたプラン通りのお通夜も滞りなくすんだ夜に、1年間の緊張の糸がぷっつりと切れてしまったのです。
「父の死」という現実を急に直視できなくなって、精神的に混乱し、一晩ひたすら泣き続けました。
夫はそんな私に一睡もせず付き合ってくれて、私の意思を尊重して理解してくれて、心配する親戚に対しては、「僕からちゃんと説明するから」とすべてを背負って一人葬儀に参列してくれました。
当時暮らしていた中野の新井薬師の家で頭から布団をかぶって泣きながら夫の帰りをひたすら待った。
今、この瞬間に、父の姿がこの世から消滅してしまうという現実を見たくなかった。
自分が取り乱してしまうのが怖くって逃げてしまったのです。
夫から無事に葬儀が終わったという連絡を受けるといてもたってもいられなくなって、新井薬師の改札口で夫がでてくるのを待ちました。
家路を急ぐ会社や学校帰りの人々に混じって改札をでてきた夫は、コートのポケットから白い布に覆われた包みを出して
「お父ちゃんをナオミのところにつれて帰ってきたよ」と笑顔で渡してくれました。
約束通りに父の骨を分骨してもらったのです。
夫から受け取った小さな骨壺を抱きしめて「パパ、パパ」と人目も気にせず幼子のように新井薬師の駅前で泣き崩れました。
父と過ごした一年間、「私がしっかりしなくては…」とずっと自分に言い聞かせ続けてた。
いつの間にか父や母の保護者のような気持ちになっていました。
母がまるで少女のように「パパがいなくなったら私はどう生きていけば良いの?」と言うのを
「一番苦しいのは病気のパパなんだからね」と叱ったりもしていた。
ホスピスでは病気の苦しみから「早く死にたい」という父に対してアメリカで末期病患者の積極的安楽死を推進した医師ジャック・ケヴォーキアンのような気持ちにさえなる時もあった。
父と一緒に葬儀のプランをたてることによって私自身が現実を直視することから逃げていた。
そして最後まで私がしっかりちゃんとして父を見送ろうとかたくなに心に決めていたのです。
でも、今思うと…取り乱して、泣き崩れてでも「パパ行かないで、寂しいよ」と娘として父の子供としての素直な気持ちを生きている間にちゃんと父に伝えれば良かったとずっと後悔しています。
父に対しての思いを今回の本に込めました…
「お父さん、きらめく世界を見せてくれてありがとう。
お父さんの分も精一杯生きてるよ。」
お父さんの分も精一杯生きてるよ。」
この夏、この本の制作にかかりっきりになってしまって、まったく相手をしてあげられなかったら、
とうとう船舶一級免許までとってしまった夫…
とうとう船舶一級免許までとってしまった夫…
私の人生の船頭でもある夫にも感謝しています。
いつの日か素直に告白しよう…
骨壺をコートのポケットに忍ばせて満員電車に乗って、笑顔で私に渡してくれたあの日…
「夫に2度目の恋をした…」と…。
この世に生を受けたこと、
そして…Wiredに感謝♪
そして…Wiredに感謝♪
長文ブログ、そして、骨壺を連発する変なのろけ話でスミマセン…。
新刊が、アマゾンでは一時完売してしまって入荷待ち状態です…誠にありがとうございます。
楽天ブックスさんには在庫ございます。よろしくお願いいたします。
http://books.rakuten.co.jp/rb/スワロフスキー・エレメント×ワイヤーで作る-モードジュエリー-9784834731415/item/6878064/
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今日はNHK大阪講座です。
西武さんの時とスイスの工房から出てきたレースやヴィンテージパーツが変更になっております。
また今日からNHKカルチャーの場所が変わるのですよね~ん♪
皆様お気をつけてくださいませ~
今だキットを製作中のパンダ…やはり相変わるずのギリギリガールでした…(汗)。
果たして無事に間に合うのか…。
44キットって思ったより時間かかるにゃ~
あと2時間頑張るぞ~!
新幹線の中でもキット組してるかも…。
夜のパーティーも楽しみです♪
多くの皆様のご参加誠にありがとうございます。
明日はNHK神戸です。
よろしくお願いいたします♪
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また今日からNHKカルチャーの場所が変わるのですよね~ん♪
皆様お気をつけてくださいませ~
今だキットを製作中のパンダ…やはり相変わるずのギリギリガールでした…(汗)。
果たして無事に間に合うのか…。
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多くの皆様のご参加誠にありがとうございます。
明日はNHK神戸です。
よろしくお願いいたします♪